逆賊の幕臣 その6 横須賀製鉄所のその後

明治維新により横須賀製鉄所は明治政府に引き継がれます。そして1871年には第1号ドックが完成し、造船活動が本格的に動き出します。横須賀製鉄所で建造された最初の軍艦は「清輝」と命名され、1875年に明治天皇臨席の下で進水し、後に日本艦船として初めてヨーロッパへ遠征し、特筆すべき艦となります。

軍艦「清輝」

 施設の建設ばかりでなく、日本人技師の養成も緊急の課題でした。そのために製鉄所内に学校が建設され、フランス人技師がその教育にあたりましたそこで教えられた代数・幾何・解析・三角関数などは、当時の日本では最高水準のものといわれました。造船技術にとって欠くことのできない素養だったのです。

 フランスから導入された技術は造船技術だけではありません。その中のひとつに灯台の建設があります。1869年1月1日点灯した観音埼灯台、さらに品川沖灯台、野島埼灯台、城ヶ島灯台などのフランス式灯台は、灯台の専門家であるルイ・フェリックス・フロラン(Louis-Felix Florent)をはじめとする横須賀製鉄所の技師によって建設されました。

かつての観音埼灯台

 また、製鉄所から約7キロメートル離れた横須賀村の走水から、製鉄所までの水道施設の整備も行われています。この煉瓦造貯水池とコンクリート造浄水池は、共に国登録有形文化財・日本遺産構成文化財に指定されています。この水はミネラル分を含み、今日でも「ヴェルニーの水」と呼ばれ、横須賀市民にも供されています。このことから横須賀は日本の近代水道の発祥の地の一つとされており、横須賀製鉄所の残した重要な足跡と言えます。

 このほか、フランス海軍の軍医であり植物学者であったポール・アメデ・リュドヴィック・サヴァチェ(Paul Amédée Ludovic Savatier)は、フランス人のみならず、横須賀村民周辺の住民らも診療し、また横須賀村の通称「ラシャメン村(羅紗緬)」の売春婦らを性病予防の観点から検診したともいわれています。これらは当時としては特筆される事として感謝され、そのことは後の明治天皇からの勅語でも触れられたそうです。

 横浜製鉄所は、フランス人の鉱山技師、ジャン・フランソワ・コワニェ(Jean-François Coignet)を招聘した兵庫県の生野鉱山や、同じくフランス人技師、ポール・ブリュナ (Paul Brunat)の指導により1872年に開業した群馬県富岡市の富岡製糸場とも深い関係がありました。横須賀製鉄所は生野鉱山から数百種類もの設備を受注しており、また富岡製糸場からは工場自体の建設を受注しています。また横浜製鉄所は生野鉱山からボイラーを、富岡製糸場から鉄製の大型水槽をそれぞれ受注しました。「日仏交流が織りなすシルクの魔法」と題して、毎年「富岡製糸場フランスウィーク」が開催されています。

 1865年、横浜フランス語学所が創立され、横須賀製鉄所や、このころ来日したフランスの陸軍軍事顧問団の通訳者がここで養成されました。さらに横須賀製鉄所内にも学校が創立され、ここで学んだ人達は後に工学博士の学位を取得しました。このように、横須賀製鉄所は、フランスから日本への技術移転の中心的存在であり、日本の近代化の大きな推進力の一つとなったのです。それもすべて小栗上野介のフランスの技術を導入し横須賀製鉄所を建設しようとした鋭い慧眼によるものだったのです。

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